My story

書道はじめの一歩

祖母と母が書道を習っていたこともあり、5歳から書道教室に通い始めました。はじめは、書道教室の近くに美味しいアイス屋さんがあり、それも楽しみで通っていました。
母曰く、私が1才半が過ぎて、一人でなかなか歩かず心配していたが、ある日床に落ちていたペンをもち、つかまり立ちをしながらふすまに落書きをしていたらしく、それを見た母は、この子は書くことが好きなのかなと思ったらしいです。それが、私の書道パフォーマンスのはじまりかもしれません。

書道への情熱~書道パフォーマンスとの出逢い~

幼稚園の頃から書道を習っていましたが、小学校2年生の時に「書道ガールズ!!わたしたちの甲子園」という映画と「とめはねっ!鈴里高校書道部」という漫画とその漫画がNHK でドラマ化され、それを見て書道パフォーマンスというものがあることを知りました。

とめはねは、地元湘南藤沢が舞台になっていることもあり、夢中になって読みました。


「書道ガールズ」のロケ地である愛媛県四国中央市は、映画の題材にもなった道パフォーマンス甲子園という野球の甲子園のように書道パフォーマンスを競う全国大会があります。

その大会は、高校生が参加できる大会で、全国で約100校位の応募があるうちの約20校しか出れないレベルが高い書道パフォーマンスの大会です。
私は、小学校4年生から書道パフォーマンス甲子園に愛媛県まで毎年家族で見に行っていて今も行っています。

私は、高校生になったら書道パフォーマンス甲子園に出場したいという気持ちが湧き、小学生になっても書道教室に通い続け、中学高校は、書道部に入って頑張りました。
中学は、一度神奈川県の書道パフォーマンス甲子園を目指している中高一貫校に入学しましたが、書道パフォーマンスの強豪校で自分の力を試したいと思い、中学2年生の時に受験をしなおし、東京都の中高一貫校に転校しました。日々書道部で書道パフォーマンス甲子園を目指し、書の古典も練習し、書道ひとすじで頑張っていました。
しかし、書道部部長となり、書道パフォーマンス甲子園に懸けて頑張っていた高校2年生の時に、緊急事態宣言が発令され、コロナウィルス蔓延し、書道パフォーマンス甲子園が中止となりました。そして、同時に、部活動もできなくなってしまいました。

小学校の時から夢見てた大会が中止になり、とてもショックでした。
クヨクヨしてても仕方がないので、私は気持ちを切り替えて、緊急事態宣言中は自宅で、学校がはじまってもコロナの余波で部活動はできなかったので、書道の実力がつけば書道パフォーマンスにも繋がると思い、自宅でひとりで書道の練習を必死にしました。
書道パフォーマンスはできませんでしたが、練習の成果が出たのか、個人で書道の全国大会4つで、1位をいただくことができました。
その後、コロナウィルスがなかなか収束せず、新入生歓迎会もできず、思うように部員が集められず、書道パォーマンス甲子園の道が何度も閉ざしてしまいそうでした。しかし、夢はあきらめないと自分自身の心に誓い、最後の書道パフォーマンス甲子園の予選に出ることができました。しかし、全国大会には残念ながらブロック1点差で出場できませんでした。


書道の魅力を広げたい

幼稚園の頃から今まで、書道を続けてこられたのも、その間に先生や沢山の仲間に出会えて支えてもらったからこそ、書道が好きになり続けられたと思います。
今、色々なところで、書道パフォーマンスを披露したり、書道のワークショップなどをやらせていただき、書家/書道パフォーマーとして活動しています。
2024年7月には、愛媛県四国中央市の書道パフォーマンス甲子園が始まった場所に記念レリーフが設置されることになり、その除幕式で書道パフォーマンスを披露することができました。
書道パフォーマンス甲子園には、出場 できませんでしたが、書道パフォーマンス甲子園の聖地、書道パフォーマンス甲子園が始まった場所で書道パフォーマンスを披露させていただき、夢のようでした。また、2025年5月には、ベトナムで書道パフォーマンスを披露させていただきました。 
そして、NHK 熱談プレイバック という番組で題字と各所タイトルを揮毫させていただきました。私の夢は大河ドラマの題字を書くことです。
そして、いつも書道を通して 皆さんに 会えることをとても嬉しく思っています。
これからも精進しながら、 書道を通して皆さんにお会いできることを楽しみにしています。